赤穂市の旧上水道

西日本技術の環境調査員

2012年03月05日 07:28



         ―給水前のろ過装置を持つ世界最初の上水道―

 赤穂市に訪問した際、赤穂市立歴史博物館等を友人に案内して頂きました。
 その際、「世界で最初の上水道」というコーナーがありました。

 赤穂は、慶長5年(1600年)に池田輝政が赴いて以来、小規模な城が築かれ、城下町が整い始めました。
 しかしながら、瀬戸内海に近く掘井戸からは海水が湧き出し、降雨量も少なかったため、当時の上水は千種(ちぐさ)川の表流水に頼っていました。
 
慶長19年(1614年)に本格的に導水路工事が始まり、元和2年(1616年)に一応の完成を見、その後、浅野氏の時代(正保2年:1645年~)に給水の増大のために取水口の移設、水道の大改修等の度重なる工事を経て、昭和19年まで上水道として使用されていたとのことです。

導水に際しては、土砂止めの堰を作り、ごみ取り用の竹すのこを設け、浄水装置の小石と木炭を設けるなど、立派な簡易浄水施設です。
「御城水」と称えられ、町家への各個給水を実現しているなど、すばらしい取り組みに感銘を受けて帰ってきました。

「赤穂」と言えば、塩田と忠臣蔵(赤穂浪士)が有名ですが、もう一つの文化遺産として興味を持ちましたのでご紹介させて頂きました。



    町家への給水方法                    陶器の水道管

                                          琵琶湖のソムリエ 
  

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