2009年12月03日
『今、桜井がアツイ?』
たまに奈良を訪れると昔よく写真を撮りに行った場所に行きたくなります。ちょっと前は、長谷寺あたりから三輪の周辺を訪れてみました。
桜井市の三輪山の麓から天理市方面にかけて『山辺の道』を少々歩くと昔より整備が進んだのか、案内や道の表示など新しくなっていました。約20年ぶりなので当たり前でしょうか。
『山辺の道』は、天理市の石上神宮から桜井市金屋までほぼ現存している日本最古の道です。古代日本の中央政府が作った官道ですので、今で言えば国道みたいなものです。この時代、詳細な地図もなければ、測量器具もない、もちろん我々のようなコンサルタントもいない時代、どのようにして道を造っていたのでしょう。
しかし、奈良に住んでいた時はそれほど歴史というものに興味がなく、山辺の道の周辺にある天皇陵、古墳などは風景の一部と言う程度で、歴史は全くの門外漢でした。
そのような私も桜井市にある纒(まき)向(むく)遺跡で三世紀ごろの大型の建築物跡が発見されたとの話を聞くと「邪馬台国はやはり奈良なのかな?」などと思い、「箸墓古墳は卑弥呼のお墓なのか」などと勝手に考え、その関連の特集や記事などに目が向きます。
しかし、最近になって、陵墓の「陵」と「墓」の違いを知った程度ですし、現地に行こうなどと思うのはいつのことでしょうか?新聞記事にありましたが、遺跡の現地説明会には約3,600人も訪れたそうです。所詮、私はにわか歴史ファンなのでしょう。
纒向遺跡は今後調査が進むと色々な発表が行われ、邪馬台国は近畿・奈良だ、九州だなどと意見が戦わされるのでしょう。寒くなってきましたが、桜井は邪馬台国論の熱い議論の中にあるようです。
三重事務所:ゴン太 S.K
Posted by
西日本技術の環境調査員
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07:28
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