2012年06月12日

柿本人麻呂が志賀を詠みし歌

歌聖と言われる柿本人麻呂が志賀を詠んだ歌、
「さざなみの 志賀の大わだよどむとも 昔の人に亦も逢はめやも」
が大津市役所の時計台の下の大きな丸い石に刻まれています。

柿本人麻呂が志賀を詠みし歌


人麻呂は飛鳥時代の宮廷歌人で持統天皇の御そば近くに仕え、宮廷の行事のための儀礼歌等をたくさん作りました。この歌は、持統天皇の父の天智天皇が造った都である近江大津宮(現在の大津市錦織二丁目辺り)を過ぎる時に、荒れ果ててしまった宮の跡地を眺めて詠んだ歌です。

「志賀の入江の水は流れが止まって動かないけれども、時は流れ過ぎ去り、昔の近江朝の人々には逢いたいけれども逢えはしない」と解釈できますが、満々として水を湛え昔と変わらぬ美しい淡海の湖(琵琶湖)と、時や人の移り変わりの激しさを対比させ、逢えないけれども逢いたい気持ちを強調した歌ではないでしょうか。

持統天皇は一度近江に行幸されており、その折に皇女の時に父と住んだ大津宮を懐かしがられたのでしょう。そのお気持ちを詠った歌と思われますが、何故にこの歌を持統天皇が人麻呂に作らせたのでしょうか?宮廷歌人とはいえ、官位の低い役人が飛鳥から近江へ勝手に出張し、詠うことはできないと思われます。

夫の天武天皇の跡を継ぎ、女帝として国家経営に邁進し、漸く治世も安定し昔を懐かしむ余裕ができたことを国民に広く知らせようとしたのでしょうか?
あるいは、新しい国家建設を目指して努力しているが、反対勢力や保守勢力に足を引っ張られたり、思わぬ事故や天災に苦しめられ、思いに任せぬ苦悩の日々を過ごしている。

僅か5年間ではあるが、大津に新都市を建設し国家を運営した父帝や近江朝の人々なら、このような事態にどのように対処するのであろうか?逢えるものなら逢って色々話をし、助言を得たい。国民よ、私のこのような心の内を察して協力してくれ、と呼びかけているのでしょうか?

約1万年前より人々の生活を支えてきた豊かな琵琶湖の湖畔で環境調査等の仕事をしていますが、何かの拍子にふっと時空を飛び古代人に思いを馳せる時があります。我々だけに許された贅沢な特権かもしれません。

                                      若狭っ子

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Posted by 西日本技術の環境調査員 at 07:28 │Comments( 0 ) 暮らし
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