2012年08月06日
「安口とハダカス」
日本の難読地名の一つに“安口(はだかす)”があります。
場所は、兵庫県篠山市安口(はだかす)です。
かつて京の都と播磨の国等を結ぶ主要街道、現在の国道372号沿いの小さな集落です。
この地名は、オオサンショウウオ(大山椒魚)と大いに関係があります。
『多紀郷土史考』(奥田楽々斉著 昭和33年)によると、元々の地名の文字は“鮟鱇(あんこう)”でしたが、両字の魚片を省略して“安康(あんこう)”となり、さらに康の字が口に変って“安口(あんこう)”と書かれるようになりました。
そして、“鮟鱇”すなわち大山椒魚には肌に糟のようなものがあるので、この地域では俗称“ハダカス”と呼ばれていたようで、結局のところ文字は“安口”、呼び名は“はだかす”となったという経緯のようです。
結構複雑ですが、このようなケースは多かったのではないでしょうか。
ちなみに、大字安口(はだかす)には多くさんの小字がありますが、その中に“安口岩”と“安口谷”があり、これらの読みは何故か“あんこう”です。
ところが、安口より西に約150Km離れた岡山県英田郡西粟倉村の河川には、大山椒魚が多く棲んでいますが、地域の人々はこれを“ハダカス”と呼んでいます。
西粟倉村影石では、清流吉野川沿いには“はだかす岩”があって、郡誌(1815年)等には、「平景清(かげきよ)が“ハダカス岩”から、大きな“ハダカス、一名安康(あんこう)”を放った」という言い伝えが書かれています。
よくよく調べてみると、大山椒魚を“ハダカス”と呼んでいる地域は、“あんこう”と呼んでいる広い地域(京都府西部~岡山県中部)のごく一部であることが判ります。
ところで、現在“鮟鱇”は、冬の鍋物の代表格ですが、室町時代以前から江戸初期までの一時期には、大山椒魚が“鮟鱇”の名を独占していた時期があり、それまでは“海のアンコウ”は“琵琶魚”とか“老婆魚”と呼ばれていました。
そして、“鮟鱇”の語源は、仏僧が隠って修行する“安居”という説が有力です。
大山椒魚の特徴を捉えての命名なのでしょうか。
なんとも不可思議な大山椒魚名です。
P.N.独憂
場所は、兵庫県篠山市安口(はだかす)です。
かつて京の都と播磨の国等を結ぶ主要街道、現在の国道372号沿いの小さな集落です。
この地名は、オオサンショウウオ(大山椒魚)と大いに関係があります。
『多紀郷土史考』(奥田楽々斉著 昭和33年)によると、元々の地名の文字は“鮟鱇(あんこう)”でしたが、両字の魚片を省略して“安康(あんこう)”となり、さらに康の字が口に変って“安口(あんこう)”と書かれるようになりました。
そして、“鮟鱇”すなわち大山椒魚には肌に糟のようなものがあるので、この地域では俗称“ハダカス”と呼ばれていたようで、結局のところ文字は“安口”、呼び名は“はだかす”となったという経緯のようです。
結構複雑ですが、このようなケースは多かったのではないでしょうか。
ちなみに、大字安口(はだかす)には多くさんの小字がありますが、その中に“安口岩”と“安口谷”があり、これらの読みは何故か“あんこう”です。
ところが、安口より西に約150Km離れた岡山県英田郡西粟倉村の河川には、大山椒魚が多く棲んでいますが、地域の人々はこれを“ハダカス”と呼んでいます。
西粟倉村影石では、清流吉野川沿いには“はだかす岩”があって、郡誌(1815年)等には、「平景清(かげきよ)が“ハダカス岩”から、大きな“ハダカス、一名安康(あんこう)”を放った」という言い伝えが書かれています。
よくよく調べてみると、大山椒魚を“ハダカス”と呼んでいる地域は、“あんこう”と呼んでいる広い地域(京都府西部~岡山県中部)のごく一部であることが判ります。
ところで、現在“鮟鱇”は、冬の鍋物の代表格ですが、室町時代以前から江戸初期までの一時期には、大山椒魚が“鮟鱇”の名を独占していた時期があり、それまでは“海のアンコウ”は“琵琶魚”とか“老婆魚”と呼ばれていました。
そして、“鮟鱇”の語源は、仏僧が隠って修行する“安居”という説が有力です。
大山椒魚の特徴を捉えての命名なのでしょうか。
なんとも不可思議な大山椒魚名です。
P.N.独憂
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西日本技術の環境調査員
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