2012年08月30日
原爆ドーム
先日、念願であった広島の原爆ドームに初めて行ってきました。
母方の伯父が67年前この地で被爆してしまいました。伯父の話を聞くと、当時の陸軍に属しており、1945年8月6日午前8時15分アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、原子爆弾を投下した時、伯父は布団をかぶり助かり、同僚は飛び起きたため火傷してしまい他界したそうです。
伯父は、現在でも元気にしていますが、被爆者健康手帳(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき交付される手帳)を持っています。ただ、戦後伯父を探しに広島入りした祖父は、肺ガンで死亡し、終戦後生まれた子供(男子)は白血病により他界しています。
原爆ドーム 原爆慰霊碑
(平和資料館、原爆慰霊碑、平和の灯、川を挟んで原爆ドームと同一軸線上にある)
広島平和記念資料館も入館してきましたが、展示品・写真・解説等を見ていると原子爆弾の恐ろしさが,しみじみと感じられました。
現在でも、世界のどこかで戦争・紛争は続いています。戦争を完全になくすことは、難しいかもしれませんが、「核兵器」をなくすことは、人間の英知により可能だと思います。
最後に、「世界中が平和になりますように!!」
三重のおじさん
母方の伯父が67年前この地で被爆してしまいました。伯父の話を聞くと、当時の陸軍に属しており、1945年8月6日午前8時15分アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、原子爆弾を投下した時、伯父は布団をかぶり助かり、同僚は飛び起きたため火傷してしまい他界したそうです。
伯父は、現在でも元気にしていますが、被爆者健康手帳(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき交付される手帳)を持っています。ただ、戦後伯父を探しに広島入りした祖父は、肺ガンで死亡し、終戦後生まれた子供(男子)は白血病により他界しています。
原爆ドーム 原爆慰霊碑
(平和資料館、原爆慰霊碑、平和の灯、川を挟んで原爆ドームと同一軸線上にある)
広島平和記念資料館も入館してきましたが、展示品・写真・解説等を見ていると原子爆弾の恐ろしさが,しみじみと感じられました。
現在でも、世界のどこかで戦争・紛争は続いています。戦争を完全になくすことは、難しいかもしれませんが、「核兵器」をなくすことは、人間の英知により可能だと思います。
最後に、「世界中が平和になりますように!!」
三重のおじさん
Posted by
西日本技術の環境調査員
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07:28
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