近江の浮舟

西日本技術の環境調査員

2012年09月11日 07:28



謡曲「花筺(はながたみ)」は室町時代に世阿弥によって創られましたが、その主役(シテ)の照日の前(てるひのまえ)は恋焦がれる継体天皇に会いに都に上る旅の途中の湖東路で、「ここは近江の海なれや。みずからよしなくも。及ばぬ恋に浮舟の」と謡っています。

自らどうする術もなく、成就できない恋に浮かれている、まるで湖の舟のように、と解釈できます。
この浮舟は「浮かれる」の掛けことばですが、草津市の志那中町の地区名の「浮舟」をも、作者の世阿弥が掛けことばに使ったとは考えられないでしょうか。



                         草津市浮舟地区

室町時代に既に地名として存在していたかどうかも不明であり、突飛な発想であることは十分に承知しています。
しかしながら、この継体代天皇は越前国高向(たかむく)の王を経て大和政権の第26代の天皇に就いたのですが、西暦450年頃に安曇川町三尾里に生まれており、近江の国とは浅からぬ縁があります。

謡曲の作者は、登場人物の履歴や街や風景を調べ、舞台にふさわしいセリフや音曲を整え、また曲趣を高めるために故事や関係する和歌を配置します。
その中に地区名を謡えばさらに旅の気分が出て、臨場感が盛り上がるとは考えなかったでしょうか。

紫式部によって石山寺で執筆された源氏物語の「浮舟」は最終章を飾るヒロインの名前として有名ですが、近江の古代の恋物語に出でてくる地名ということが明らかになれば、「浮舟」への興趣がまた一段と高まるのではないでしょうか。

                                       若狭っ子

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