2011年05月06日
2011ボストンマラソン 2時間3分2秒
4月18日アメリカ・ボストンマラソンで2時間3分2秒という ありえへん!タイムで、ジョフリー・ムタイ(ケニア)が42.195kmを突っ走ってしまいました(2位もケニアのモーゼス・モソップで2時間3分6秒)。
今までの公認世界記録は、ハイレ・ゲブレセラシェ(エチオピア)が2008年9月ベルリンマラソンで出した2時間3分59秒ですから、なんと57秒も早く走ったわけです。しかし、国際陸連が2004年に定めた公認コースの基準を満たしてないため、世界記録とは認定されないみたいです。
ボストンマラソンといえば、ちょうど30年前(昭和56年、1981年)に日本のエース瀬古利彦が2時間9分26秒(当時世界歴代5位、大会新記録)で優勝した心臓破りの丘(ハートブレイクヒル)で知られる難コース。前半は下りといえ、アップダウンが多く、心肺機能の強さと同時に脚筋力も備えていないとタイムは出せないという定評がある大会です。
世界記録に認定されないのはおかしいのではと感じます。
5kmごとのラップタイムを今回のムタイと30年前の瀬古を比較してみました。
(ムタイ)2時間3分2秒
5km 10km 15km 20km 25km 30km 35km 40km 2.195km
14:32 14:36 14:40 14:57 14:31 15:08 14:11 14:13 6:14
(瀬古)2時間9分26秒
5km 10km 15km 20km 25km 30km 35km 40km 2.195km
15:01 15:20 15:41 15:23 14:59 15:14 15:14 15:12 7:22
ムタイは25~30km間で15分台があるのみで、他は全て14分台、特に心臓破りの丘のある30km以降を前半よりも早い14分台前半で走っています。しかし、これは瀬古も同じで、15分台前半で走っているので当時としては凄い記録だったことが見てとれます。
今回ムタイ選手は、優勝賞金、記録更新ボーナスで、22万5000ドル(約1800万円)を手にしたそうです。30年前の瀬古は、優勝賞金、出場料、副賞(ベンツ)で合計1500万円を手にしましたが、日本陸連の競技者基金にプールして、引退してからもらったそうです。
ここまで男子マラソンがスピード違反切符を切られるほど高速化してくると、陸上競技で唯一日本人の得意種目だったことが夢か幻のようです。かくまで日本マラソン界が弱体化した要因として、箱根駅伝やニューイヤー駅伝の高視聴率に見られる駅伝偏重がよく指摘されますが、昔も駅伝は盛んだったので理由にはならないのではないかと思います。
起死回生の秘策として、以下の日本民族マラソン復興プランを提案します。
1)駅伝の最短距離を42.195km以上として距離に対する不安を無くさせる(中継時間が長くなるのは、仕方がない)。または、調子が良い場合はタスキを渡さずに区間をまたいで一人で突っ走ることを認める(全区間一人で走らしてもよいと思う)。
2)素質があるとみたら、小さい時からケニア、エチオピアに留学させ鍛えまくる。
上のプランはあまりに普通なので、以下の奇策も考えました。
1)日本の駅伝レースをオープン参加とし、優勝賞金も超高額にして、アフリカ勢をどしどし参加させる。
同時に海外のマラソンレース主催者に多額の献金をして、優勝賞金を減額させて、アフリカ勢のモチベーションを下げる。
2)最後の手段、強いケニア、エチオピア選手に日本国籍を取らせ帰化させる。
どうでしょうか? マラソン王国復活のための遠大な戦略と思うのですが。
やっぱり無理かー。
(お遍路を目指す男)
Posted by
西日本技術の環境調査員
at
07:28
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