2012年02月13日

石川千代松博士とオオサンショウウオ


岡山県の北部、真庭市湯原町にある「オオサンショウウオ保護センター」、1メートル級の個体が数匹水槽で飼われています。入場無料です。なお、オオサンショウウオの呼び名は岡山県の西部で「ハンザキ」、東部は「あんこう」が多いです。

石川千代松博士とオオサンショウウオ
石川千代松博士とオオサンショウウオ

この施設の裏側には、全国でも珍しいオオサンショウウオを祀った「鯢(ハンザキ)大明神」があり、毎夏行われている「ハンザキ祭り」には、この大明神での“神主さん”と“お寺さん”による儀式からスタートします。

石川千代松博士とオオサンショウウオ

保護センター内に入ると、石川千代松博士のオオサンショウウオ研究の成果と、彦根市の琵琶湖畔にある博士の胸像写真と碑文が貼ってあります。

石川千代松博士とオオサンショウウオ

「琵琶湖に産する小鮎は鮎が湖内に封じ込められて出来た生態学上にいう陸封現象の所産であって鮎と別種のものではないと信じ、大正2年に小鮎を東京多摩川に試験的に移入してそのことを実証した。それが発端となって今日行はれる如く小鮎が広く日本の河川に移入放流されて釣人を喜ばせ、国民保健上に資する様になったのであって、その功績は大きいと言わねばならぬ。・・・。」と。

この石川千代松博士は東京帝国大学理科大学助教授時代、動物学の専門家として1900年に初めて正式な上野動物園園長の辞令を受けており、オーストラリアやドイツから外国原産の動物を購入・交換し、上野動物園の発展に力を注いだ人でもあります。さらに博士は、オオサンショウウオ研究の草分けとしても有名であり、東京から岡山県の津山市を経由して、湯原温泉のある山奥の湯原町を研究の地として2年間を過ごしているのです。

「なぜ、もっと近い岐阜県や兵庫県じゃなくて、こんな遠くの山奥の地である岡山県の湯原町を選んだのか?」このことが私の疑問として、ずっと引っ掛かっていました。

ある日、津山市立洋学資料館を見学している時、津山藩出身の蘭学者で、江戸末期のペリー来航の時、米大統領国書の翻訳に携わった人でもあった箕作阮甫(みつくりげんぽ)の家系図の中に石川千代松の名を見つけました。下の写真はJR津山駅広場に立ち、江戸の方向を見据える箕作阮甫の銅像です。後姿で御免なさい。
千代松は、箕作阮甫の孫娘と結婚しており、箕作家を頼ってハンザキの研究の地を選んだらしいのです。

石川千代松博士とオオサンショウウオ

それを裏付けると思われる歴史小説がありました。それは、市原真理子著の『天保の雪』の中の「ハンザキ小町」という短編です。この中に、石川博士と助手が調査研究の道具をかついで山越えをして、湯原の町に着く様子が書かれています。

長い間の疑問が解けた時は感動です。先人・偉人達の行動や動機の記録がなかなか見つからない場合でも、関連資料からフィクションとして発表する方がいるおかげで、その足跡が垣間見える一例です。

                                       岡山営業所 独憂

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Posted by 西日本技術の環境調査員 at 07:28 │Comments( 0 ) 生物
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