2010年04月14日
忍者の里
忍者といえば全国にも様々な流派が存在しますが、甲賀流、伊賀流が有名です。
忍者の活躍自体は、表街道で派手に立ち回るものではない裏稼業の様なもので、歴史上に記録として残ったり、名前が残ったりしないのが本来の姿です。
たまたま甲賀と伊賀は、都が京都であったのと戦国の時代、天下を争った武将「信長、秀吉、家康」が全部、愛知県の出身でちょうどその中間に位置し、交通の要衝であったので、歴史上の物語に登場する場面が多く、甲賀、伊賀が脚光を浴びる事になったということのようです。
甲賀市にある忍術村
地元なのでめちゃめちゃ近いですが、遠足でいきます。水雲の術や手裏剣を使って訓練しました。ひととおり技をやったら免許皆伝!
小さい巻物をくれました。(当時)
忍者の行動は、生活がかかっているだけではありません。
その一つ一つの動きには命がかかっていて失敗は一度たりとも許されず、真剣勝負の連続で、張り詰めた緊張の中での動きが要求されていました。
そのため、日頃から厳しい訓練をして、その技も、術も、人に見せるものでもなく、ただひたすら自分自身を切磋琢磨して来たるべきときに備えるという、まったく割りの合わない仕事だったようです。
環境技術課 カール・マローン
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西日本技術の環境調査員
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07:28
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仕事