2008年12月08日

赤穂浪士だ 討ち入りだ

赤穂浪士だ 討ち入りだ


昨日は忠臣蔵ゆかりの地、山科コースを「王将コース」でまとめてしまった。本当の散歩の目的は毘沙門堂、瑞光院、山科駅、 花山稲荷神社、岩屋寺、最終は大石神社で「山科義士まつり」行列のコース。1年に一度の散歩コースで片道6km。
毘沙門から岩屋寺のコースは「山科義士まつり」の旗が立っているので迷うことはありません。忠臣蔵の詳しい歴史や写真は「山科義士まつりのホームページ」http://gishimatsuri.com/shiru/を見てください。地図もあります。

<なぜ赤穂浪士は切腹に>
将軍綱吉は、山科の毘沙門堂のお坊さんに対して意見を求め、その回答が「本懐を遂げた浪士を生き永らえさせて世俗の塵に汚すよりも、切腹させることによって尽忠の志を後世に残すべきである」としたため。

<遺髪はここ>
瑞光院には義士の遺書、遺髪を埋めた遺髪塚、義士の墓、内蔵助の歌碑があります。うっかりすると見落とします。一見、高級な民家。

<大石内蔵助が住んでいたのはここ>
赤穂城退去後、赤穂藩士で山科出身者の縁故によって家を建て、祇園や伏見で遊んでいたときの住まいが岩屋寺の前(写真)。現在、建物は残っていません。岩屋寺は落葉の時期でお寺の人が落ち葉を集めて掃除。周辺の木々を見ると、まだ葉っぱをつけている。こらからも掃除が大変。

<大石神社は昭和の建築物>
昭和10年に創建された大石神社。義士祭りの終点。浅野内匠頭の位牌を納めた寺で、岩屋寺から持ってきた鎖帷子や硯箱などがあります。昭和に建てた神社ですから、訪れてがっかりする人も多い。


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Posted by 西日本技術の環境調査員 at 07:28 │Comments( 0 ) 京都
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