2009年04月08日

閻魔大王の側近と死神

閻魔大王の側近と死神


日曜日、山科の旧三条通りにある徳林庵の由来を書いた立て看板を読んでいると、「小野篁」(たかむら)の名前が。小野篁は六道珍皇寺にも書きましたが、平安時代の文人。小野妹子の末裔とされ、小野小町のおじさん。昼は公務員、夜は冥界に行って閻魔大王に仕えた「一人ダブルインカムズ」。
ただし、母に仕えてよく孝養をつくし、高官としての給与は、ほとんど親族や友人に与えて生涯清貧、今の政治家とは異なります。

閻魔大王の側近と死神

徳林庵は、仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉、南禅寺のお坊さんが1550年に開創し、境内には人康親王、蝉丸供養等(写真:室町時代)やお地蔵さんがまつられています。。
また、徳林庵は小野篁が作ったとされる山科地蔵のあるところで、8月22日と23日の地蔵盆には山科駅から京阪四ノ宮まで夜店の出るところ。このお地蔵さんを作ったとされているのが小野篁。
山科の随心院も小野小町ゆかりの寺ですし、地下鉄の駅名にも小野がある。

<なぜ夜も仕事>
早く母を亡くした小野篁のところへ後妻が来て女の子を出産。その女の子に家庭教師をしているうちに恋に落ちて妊娠させてしまった。それを聞いた後妻が怒り、異母の妹は自殺。
死後、妹は幽霊になって毎夜、毎夜、篁に逢いにくるようになりました。
妹に連れられて毎夜冥土に出入りするうちに彼は冥界の役人に出世したという話。
しかし、この話(篁物語)は後世の人の創作と考えられています。

昼は公務員で、夜も仕事。いつ寝るのか?
似たような人もいますから、詳しくは京都市役所の人に聞いてください。

<紫式部との関係>
なぜか紫式部と小野篁の墓が同じところに?(堀川鞍馬口の島津製作所)
紫式部がふしだらな物語を描いた大罪人で、閻魔大王の前に引き出された紫式部を篁が取りなしたとの伝説がありますが、膳所の「義仲寺」にも松尾芭蕉と木曽義仲のお墓が隣どうしにありますから、気にしなくていいんじゃないですか?

閻魔大王の側近と死神

<ヘンなところで>
実は、昨年マンション内で孤独死したおじいさんと最後に会ったのが徳林庵の前。
「あんたと会うのはいつもヘンなところ」
そういえば骨折で入院していたとき、おじいさんと会った場所は病院の霊安室の前。その次は、おじいさんが先に逝ったおばあさんお墓参りで大谷祖廟の入り口。そして、最後は山科の徳林庵前
私はただ京都市内をブラブラ歩いているだけですが、他の人にとっては死神のようです。


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Posted by 西日本技術の環境調査員 at 07:28 │Comments( 0 ) 京都
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