2011年10月06日
津市の伝統工芸
津市の伝統工芸は、衰退の一途を辿っています。
10年程前に阿漕塗の新 善夫氏が、5年程前に日本画家の粉川洛木氏が、今回は、私が大好きな阿漕焼の窯元「狐森窯」が廃業しました。
皆さん、老いに伴う心身の衰えに後継者がいない(需要が減り、経済的に厳しく後を継がせられない)等々の理由のようです。
『阿漕焼』
「阿漕焼」の特徴は、器自体は萬古焼の流れを汲みながら九谷焼のような絵付けを施すのが特徴、朱・緑・黄・紫・紺青など鮮やかな色彩を巧みに用いています。
明治維新以前は藩窯として、明治に入ってからは三重県や津市の肝煎りで人・財両面での後援があり、一時中断するも興廃を繰り返しました。
昭和になって堀川津市長が、四日市萬古焼職人の福森円二氏を招き『阿漕焼』を再び盛り返そうとしましたが、当初は厳しい経営が続いていました。
戦後になって日用雑器から付加価値の高い茶器に対象を転換し、漸く阿漕焼は、再興を果たすことになりました。
円二氏の次男、博氏が二代目を継ぎ、陶芸に意欲的な作風を加え『阿漕焼』の伸長に努めましたが、平成10年に死去。
三代目はその息子、資氏が継いでいます。
また、円二氏の三男、守比古氏は、阿漕陶芸家として志を立て、津市高茶屋に狐森窯を築窯。
日本工芸会正会員。鉄釉、油滴天目を得意としました。
その後、妻の阿也氏が描く茶陶作品が評判となり、絵付けのための穴窯の作品を主に作成していました。
焼物の絵付けは、無地の素地に絵付けを施すのが、一般的ですが、阿也氏の場合は、炎の織り成す焼物の表情に見合った構図を絵付けするので、作品に命が宿っているのではと思うばかりの仕上がりでした。
地方にも素晴しい工芸作家達が居るのに、一般庶民の数奇者達の力だけでは、スポンサーになれる訳もなく、伝統工芸をまた一つ守ることは出来ませんでした。残念でなりません。
伝統工芸大好き子
Posted by
西日本技術の環境調査員
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07:28
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芸術